皆さん、毎日トイレに行きますよね。私ももちろん行きます。会社でも何度も行きます。

当社では、トイレの電気は省エネのために出る度に消しています。そして、入る度に点けます。そう、私はトイレに入ると、まず電気を点けるのです。もうこれは習慣ですね。

しかし、果たして私は本当に「電気を点けて」いるのでしょうか?

たまに、トイレの電気が点けっぱなしの時があります。お客さんが消し忘れでもしたのでしょう。

そういったときにトイレに入ると、「あ、点けっぱなしだ」と思いながら、私は電気を消してしまいます。そうです、今から自分がトイレを使うのに、わざわざ点いている電気を消してしまうのです。そして、いつもと様子が違うことにしばし動転し、それから改めて電気を点けます。

つまり、私は日頃トイレに入るときには、「電気を点けて」いるのではなく、実際には「スイッチを今と反対側に倒し」ているのです。

毎日うまくいっているために、いつの間にか「電気を点ける」という本来の目的は「スイッチを今と反対側に倒す」ということにすり替わってしまったのです。そして、私は「電気を点けて」いるんだと思いこんでいますが、習慣になっているのは「スイッチを今と反対側に倒す」というもっと単純なことだったのです。

しかし、私に『トイレに入ったらまず何をする?』と聞くと、『そりゃぁ電気を点けるよ。なぜなら暗いからね』と答えるでしょう。それは決して自分が「電気が点いているかいないかに関わらず、ただ単純にスイッチを倒すことしかしない頭の悪いやつ」と思われたくないからではなく、本当に「電気を点ける」と思いこんでいるのです。

人間は外界の制約を巧く利用し、様々なことに適応していきます。人間にはアフォーダンスを上手く利用する能力が備わっているのです。

ユーザはこのように優れた適応能力を持っていますが、必ずしも自分のことを正しくは理解していません。自分の行動を反射的なものだとは考えずに、自分にとって筋の通った論理的なメンタルモデルを構築しようとします。

それ故に、設計者やデザイナーが論理でインタフェースを設計すると、このようなときに破綻してしまいます。『決して理詰めで物事を考えるわけではないユーザ』のことを十分に考慮した柔軟性、冗長性(たとえばフェールセーフをしっかりと組み込む)を持ったデザインを行うべきなのではないでしょうか。